JACSMサミットインタビューシリーズvol.04

ステントグラフトの現状と将来 | ステントグラフト実施基準管理委員会企画 JACSMサミットインタビュー シリーズ 4(JACSM Summit Interview Series 4)

Michael David Dake
お話:
Michael David Dake
所属:
米国 スタンフォード大学メディカルセンター 心臓胸部外科
(Cardiothoracic Surgery, Stanford University Medical Center, USA)
石丸 新 JACSM委員長(戸田中央総合病院血管内治療センター) 聴き手:
石丸  新 JACSM委員長(戸田中央総合病院血管内治療センター)
吉川 公彦 JACSM委員(奈良県立医科大学放射線科) 聴き手:
吉川 公彦 JACSM委員(奈良県立医科大学放射線科)

 The 10th Asia-Pacific Congress of Cardiovascular & Interventional RadiologyにシンポジストとしてDr. Michael David Dakeが招聘された。胸部大動脈瘤ステントグラフト治療の先駆者であるDr. Dakeに、初となったステントグラフト治療における研究背景や米国でのステントグラフト治療の現状、そして国際的な視点からの将来展望についてうかがった。

『Zステントの開発からステントグラフトの臨床適用まで』

石丸

 Dake先生はステントグラフトのパイオニアとして日本でも大変有名な方です。先生はドクターになられて、放射線医学を選ばれた動機は何ですか。

Dr. Dake

 私はヒューストンで医学教育を受けました。当時、ヒューストンは心臓外科のメッカでして、Dr. DeBakery、Dr. Crawford、Dr. Cooleyといった高名な先生方がそこにいらっしゃいました。私自身は、開心術についてそれほど興味を持っておりませんで、ベイラー医科大学に入った後に、肺疾患や胸部疾患の勉強をしました。
 その後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に移り、放射線の世界に足を踏み入れました。胸部の専門医として放射線技師さんが撮った画像を読影することが、私の仕事の一部でした。当時は、ヒューストンが心臓血管手術のメッカであったのと同じように、UCSFはMR(magnetic resonance)の世界ではよく知られていました。幸運なことに、ヒューストンでは開胸手術の巨匠から、そしてUCSFではMRの巨匠のもとで学ぶことができたのです。
 その一方で、暗室でずっとフィルムを読むだけで、患者さんとの接触がないことを非常に寂しく思っておりました。そこで、患者さんと触れる機会のあるInterventional Radiologyへ移り、当時ペンシルバニア大学にいたDr. Ernest Ringのもとでトレーニングを受けました。
 1987年に私のフェローシップが終わり、サンフランシスコ総合病院で放射線科の長を務めた後、Dr. Barry KatzenのパートナーとしてMiami Vascular Instituteにおいて末梢血管外科を学びました。サンフランシスコでは外傷症例、マイアミでは末梢血管症例について多くを経験できました。そしてスタンフォードに戻り、初めてCardiac Radiology、例えば冠動脈の画像を読むということに触れることになりました。
 1991年に、アルゼンチンのDr. Juan Parodiによるステントグラフト内挿術の実績が発表され、ステントグラフトに皆が興味を持つようになりました。当時、ステントはグラフトの中枢側だけで、末梢側にはまだ付けられていませんでした。
 今から20年前の1992年7月に、私たちは初めて胸部大動脈瘤に対するステントグラフト治療を行いました。同年10月にはDr. Parodiがスタンフォードでのシンポジウムで講演してくださいましたが、それは私にとっては極めて大きな出来事でした。
 当時、胸部大動脈のステント分野では三つの重要なファクターがありました。一つ目はたくさんの日本人ドクターがフェローとしていらしたこと。この方たちの貢献なしには今日のステントグラフトの姿はなかったと思います。二つ目は、スタンフォード大学で仕事をしている心臓血管外科の先生方の協力です。現在でも、彼らは私たちにとても緊密に協力をしてくれています。三つ目は、オレゴン州のDotter研究所です。この研究所の尽力なくしては、今の私たちの姿もありません。この研究所ではZステントをつくることができ、私たちの研究所でそれができるようになるまで、ずっと代わりにZステントを作ってくれていました。
 Dr. Ringが主催するアンジオクラブというのが、カリフォルニア大学サンフランシスコ校にあり、私は1993年9月にステントグラフトで胸部大動脈瘤を治療した症例を発表しました。Dr. Ringはほとんど失神するほどに驚かれ、私としては自分を教えてくださった先生が、このように喜んでくださるというのは非常に名誉なことでした。

石丸

 1991年にDr. Parodiが初めて腹部ステントグラフトを報告しましたが、その後1992年にスタンフォードでシンポジウム講演をされるまでの間にはどのようなことがあったのでしょうか。

Dr. Dake

 Dr. Parodiの発表後、アメリカの多くの外科医が最初にステントグラフトを試したいと思っていました。Dr. Parodiが使ったステントグラフトは、ステントがグラフトの中枢側のみに付けられていたので、グラフト本体は血流で勝手に広がるという方法でした。もっともDr. Parodiがこれを考えつかれたというわけではありません。多くの方々が、Dr. Parodiよりも以前にこの考えを持ち、すでに動物で実施されていました。グラフト末梢側にステントがなかったために、エンドリークもありましたが、ヒトに対してこういう術式が行われたのは初めてのことでしたから、たいへん画期的でした。
 しかしながら胸部では、腹部よりも口径が大きくなりますので、バルーンで拡張するタイプのステントでは十分な太さが確保できなかったのです。1991年から1992年7月まで時間をかけて、どのようにしたら入るのかと工夫を重ねました。そこで、結論はZステントが必要だということになりました。

吉川

 今はほとんどのステントグラフトがZステントベースになっていますが、先生は当初からZステントに注目されて、「これだ」というふうに確信を持たれましたか。

Dr. Dake

 そうですね、Zステントはとても有効な方法だと思っています。ただ、唯一の方法というわけではありません。編み組ワイヤーなど、他にも方法はあるとは思いますが、広がるときに長さが縮まらないステントを用いるべきでしょう。
 当時、私たち医師は早くからその耐久性について問題はないとわかっていたのですが、メーカー側は大動脈に内挿した後、壊れてしまうのではないかと恐れていました。多くのメーカーが二の足を踏む中で、オーストラリアのCookだけが開発を試みてくれてスタートできたという経緯があります。
 Zステントは、畳んで小さくしやすいけれど、ある程度の長さが必要ということで、血管の弯曲が強い場合には、その内壁の曲がりにうまく適合することができないという問題があります。それでもZステントは効率的な、よい方法だと当時から感じていましたし、今もそう思っています。

『動脈解離へのステントグラフトの適応』

石丸

 胸部ステントグラフトの有用性は、胸部大動脈瘤と動脈解離にあると思いますが、先生は始めから動脈解離の治療を中心に臨床的なトライアルをされたのですか。

Dr. Dake

 ステントグラフトが急性大動脈解離に対して大きな影響を与えたことは確かだと思います。急性で合併症がある動脈解離の場合、現在アメリカでは100%ステントグラフトによる治療をしています。
 1992年に、ステントグラフトによる治療は患者さんにとって非常に負担が少ないということがわかり、自信をもって施術できるようになりました。特に動脈解離の場合にはステントグラフトが必ず患者さんのためになると確信を持っています。
 ステントグラフトの性能が向上するに従って、分岐動脈の形状に合わせてカスタムメイドすることが考えられますが、日本はこのカスタムメイドの分野において非常に大きな役割を果たしていると思います。
 ただし、患者さんの解剖学的構造に合わせてその都度デバイスを作るということは、実際には現実的ではありません。一人ひとりに合うように6週間もカスタムメイドのものを待てません。アメリカのFDAは、例えば1万種類のステントグラフトを用意して、誰にでも合うようにするということは好ましくないという考え方を持っています。ですから、ステントグラフトの将来を考える上では、このあたりが大きな課題になるのではないでしょうか。

『新しいデバイス開発のための国際協力』

石丸

 アメリカでは、動脈解離に対してステントグラフト治療が第一選択ではありながら、商業ベースでは解離のためのデバイスはまだないわけですね。その最大の理由は何でしょうか?

Dr. Dake

 動脈解離用のデバイスについてはいくつかチャレンジはなされてきていますが、まだ十分な結果が得られていません。INSTEAD Trial*1では、慢性の動脈解離を対象に、ステントグラフト治療と薬物治療を比較した研究が行われています。対象は、解離発症から平均3カ月程度経過した患者さんですので、急性ではありませんが、さほど慢性でもない症例です。
 1年後の段階では、薬物治療群の生存率のほうが高かったのですが、5年後の生存率では、この状況が一変し、ステントグラフトの生存率のほうが非常に高いという結果が出ました。こういったことからも、動脈解離の治療にステントグラフトを用いることについては、効果が認められていると言えるでしょう。
 今のところは、急性で合併症があるタイプBの動脈解離についてステントグラフトを用いることに異論はないと思います。一方で、慢性で合併症がないタイプの症例について検討していく必要があり、それによって商業化の気運も見られるようになると思います。
 どのような動脈解離に対して、どのようなステントグラフトがよいのかということは、まだ十分に理解されていない段階です。しかし、2、3年後には、3分枝のtotal archステントグラフトが商業ベースで登場すると確信しています。
 Tearやvalveといった冠動脈周囲の状態を把握できるようになって、3分枝のステントグラフトを用いることができれば、タイプAの動脈解離のうち60%が外科手術ではなくステントグラフトによって治療できるようになるでしょう。新しいものの開発には政府承認の手続きに時間がかかりますので、もっと研究を進めていく必要があると思います。

石丸

 多くの症例がステントグラフト治療に移行していくのだと思いますし、さらに新しいデバイスが登場してくるでしょう。一番の問題点は、それがいかに商業ベースにのるかだと思います。そのためには、日米共同での国際治験などができるとよいと思っています。

Dr. Dake

 そのとおりですね。多国籍の国際治験はぜひ進めていくべき取り組みだと思っています。例えばCookは、Zilver PTXで国際的な市販後調査をすでに行っており、日本のPMDAとアメリカのFDAは、こういった取り組みにおいては非常に緊密な関係を築いています。FDAは、日本人の患者さんをこの研究の一部に含めることについては、全く問題がないと考えています。
 日本とアメリカ、ヨーロッパは近しい関係にありますので、この三つの地域の間には何ら問題はないと思います。また、中国は商業的に大切だという意味のみならず、患者数が非常に多いということでも重要な国です。中国としては、こういった治験に参加したいという意向もあり、これからは商業ベースだけではなくて、私たちすべてのためにも中国を含めていくという考え方が大切だと思っています。

石丸

 FDAと日本のPMDAの協力が緊密になる方法の一つに、日本ステントグラフト実施基準管理委員会(JACSM)の活動があると思います。JACSMでは実施基準をつくり、適正な治療をマネジメントしていることに加えて、ステントグラフト全症例の追跡調査を行い、それらを10年間フォローアップしていく予定です。日本にステントグラフトを導入するにあたっては、厳密なフォローアップを行うことが条件でした。JACSMによるフォローアップデータがPMDAを通してFDAにも伝わることが、日米の信頼関係を築く一助になるものと自負しています。
 まだお聞きしたいことがたくさんありますが、時間が来てしまいました。次回またお話ができればと思います。本日は有難うございました。

(以上)

*1 INSTEAD Trial: The Investigation of Stent Grafts in Aortic Dissection Trial